シンチャオ! 旅記録。友達と街歩きをしました。
ベトナムは50以上の民族で構成され、様々な国と関わりがあり影響を受けてきています。今回はそんな歴史の一部を知ることが出来ました。そこで出会った歴史の事実、建物を紹介します。
ベトナム戦争を知る
我が家はこれまでベトナム人の留学生の受け入れをしてきました。今では彼女たちが私たちを日本の家族と思ってくれるようになりました。そして彼女たちが産まれ、育ってきた祖国に興味を持つようになりました。私が好きな国ベトナム。
しかし、このベトナム戦争については、私は何も知らないなと思いました。これまで、日本では彼女たちに聞くこともなく、語られることは無かったです。
しかし、ベトナム戦争は遠い昔のことではなく、最近の悲惨な出来事。
この戦争は、大まかに言うと、1955年から1975年までインドシナ半島で起きた戦争です。原因は、北と南ベトナムの内戦から始まりました。
アメリカ、中国、かつてのソ連が参戦しました。そして、資本主義対社会主義の戦争に発展しました。アメリカ軍は次第にベトナムから撤退していき、弱体化した南ベトナム政府は、北ベトナム軍に敗北。
その結果、1975年4月の首都サイゴンの陥落をもって、ベトナム戦争は北ベトナム(社会主義陣営側)の勝利で幕を閉じます。北ベトナム側の社会主義側が勝利し、アメリカは完全に撤退することになりました。
北ベトナムは、インドシナ戦争(1946年~1954年)で、多大な犠牲を払って、フランスに勝利したにも関わらず、1954年のジュネーブ協定で、ベトナムは南北二つの国に分断されてしまいました。
戦争に勝ったにもかかわらず、国土の半分しか得られなかったことに、北ベトナムの人々はがっかり。
何としても統一するという強い愛国心を持って一致団結することが出来ました。
そんな歴史背景を念頭に置きながら、
ベトナム滞在4日目、友達家族とベトナム戦争の跡地、クチへの旅に出かけます。
クチトンネル歴史遺跡
ホーチミン市クチ郡というところに、クチトンネル歴史遺跡があります。
ホーチミンから70㎞離れた、ベンユックとべンディン地域というところに、ベトナム戦争のときに使われた全長250㎞の地下トンネルがあります。そのトンネルの一部を、開放しており、観光客が体験することができるのです。このトンネルは抗フランス戦争時の1940年第代後半から25年かけて作られました。
25年間の年月をかけて、地下に長いトンネルを堀旅行続けた跡から、当時の状況を知ることができました。
ベトナム戦争当時、南ベトナム解放戦線の拠点がおかれ、米軍との激戦がこの場所で繰り広げられました。
戦争の詳しい説明はガイドの説明を聴きたいため、英語の通訳がついている半日のツアーに参加しました。
南ベトナムにはアメリカが、北ベトナムはソビエトが支援し、さらにはそれぞれの陣営に諸外国が加わり参戦したのです。
このベニュック地下道は1979年4月に国家で守るべき遺跡として登録されました。地下道の内部はトンネルで繋がっています。トンネルの入り口にはかやぶきの屋根があり、そこから地下に入っていくと、アリの巣のように枝分かれしており、その先に台所や寝室が含まれる生活ができる深い広場、作戦会議をする場所、武器を保管するスペースなど広がっていました。数千人の方がこの地下で生活をしていました。
敵から身を隠すために、入り口が分からなく隠されています。
さて、ここからトンネルに入る体験がスタートします。
1人ずつ、隠れ穴に入る体験ができます。入り口、どこか分かりますか?人が入っています。
中に入ると暗闇。
身体の大きな方も子供たちも入ってみます。
海外の方がたくさんツアーに参加しています。
実際にトンネルの中を進んでいくのですが、狭くて、それはとてもとても怖かったです。
私は、友達家族に前後を挟んでもらい声を掛け合いながら前に一歩一歩と進んでいきました。身体の大きい人は両手をついて這っていきます。
もしくは、しゃがんで両足で一歩一歩と進めていきます。時々、終わりが見えなくて、戻るにも戻れず、またここで今からそんなに遠くない日に、戦争のために人がここを通っていかなければならなかった事実に向き合い、泣きそうになりました。
爆弾が飛んできたり、枯葉剤がまかれて、戦争中にこの狭い通路の中を這って過ごしていたベトナム人の心情を考えることが出来ました。通路だけではなく、生活の場になっていました。
こちらは、トラップ。敵のワナにはまると、身体に鉄の棒がささり、重症を負います。もしくは待っているのは死かもしれません。
戦争証跡博物館
さて、別の場所に移ります。ホーチミン市3区に、戦争証跡博物館があります。こちらも見学してきました。
1975年に開館されています。3階建てになります。こちらはベトナム戦争に関わる資料、写真、物品、監禁されていた牢屋、捕虜制度、武器、戦闘機まで多くのものが展示されています。
戦争における枯れ葉剤によるダイオキシンの被害は、発がんや奇形児や身体に障害を持った子供が生まれています。例えば幼少のころに、枯葉剤を浴びた子供が成長し、その方が出産するとその子供にまで影響がでています。世代を越えて、化学物質が生物の身体に影響を与えてしまうのです。卵子や精子、子宮が影響を与えるのでしょうか。そしてその被害は50年経過した今も続いています。人だけではなく、動物、植物、食べ物など生物の多くが被害対象になっています。
ベトナムの博物館には、そのような写真が展示してあります。何も隠さずに、そのままの現実を見せており、その時の残酷な状況がありのまま伝わってきます。
テト攻勢による犠牲者の増大やソンミ村虐殺事件を経て、反戦運動が盛り上がり、アメリカは撤退しました。
この博物館では戦争体験者と交流できる場が提供されているようです。戦争が忘れられないように語り継がれることやこのような博物館に足を運ぶことが必要だと感じます。
統一会堂
名前の通り、北と南が一つになった証の場所です。
1966年に建てられ、後に旧南ベトナムの大統領官邸として使われていた建物です。一般に公開されており、行ってきました。中にはベトナム戦争時に使われていた大統領指令室、地下の情報指令室、会議室、大統領の寝室まで全部で100を超える部屋があり、見学することができます。
かなり広い地下室ですが、ここでは戦争の情報を収集して、作戦会議がされていたと想像しました。
屋上にはヘリポートもあります。広大な敷地です。現在は中を車、バス、バイクなどが通れるようになっています。
西洋の伝統建物になっており、家具や窓もおしゃれなものでした。
私は一人で散策したのですが、約2時間で回れます。ツアーも組まれていて、団体様が多かったです。
この日は気温36度、湿度70%と、とても暑いのですが、中は冷房がよく効いていて過ごしやすかったです。
私たちは過去に実際に起きた現実を、詳しく学ぶことができました。
戦争がもたらす不幸と、これからの平和、友好を世界中の人々が考えることができる文化的な場所です。ぜひベトナムにお越しの際には観光地の一つに加えてみて下さい。
英語、韓国語、中国語、日本語など、多言語で通訳音声を聴くサービスがあります。
今日も最後まで読んで下さりありがとうございました。