南スーダン共和国の人道危機

three giraffes on land

朝活ライブで、メンバーから南スーダン共和国の友達がいるよ!と聞きました。

南スーダン共和国について、ほとんど知らいなと思いました。今日はその東アフリカに位置する南スーダン共和国で起きていることについてがテーマです。

目次

南スーダン共和国は2011年に独立した新しい国

長年にわたって戦闘を繰り返しており、多くの犠牲を払い、苦難を経験してきた国民はこの新国家に平和と発展を託し、2011年7月9日にスーダン共和国から独立しました。今からたったの11年前の出来事であり、世界で一番新しい国となっています。地理と歴史を見ていきます。

地理的位置は、東アフリカにあり、上にスーダン、下にウガンダ、右下にケニア、左下にコンゴ、左に中央アフリカに囲まれています。

南スーダンの硬貨1ポンドにはキリンが彫られています!

キリンは絶滅危機動物にありますが、もしかしたら野生のキリンに会えるかもしれません。

1955年から1972年まで、第一次スーダン内戦がありゲリラ闘争を繰り返していました。

1956年にスーダン共和国は英国とエジプトから独立をしました。この内戦は和平合意を持ち終結しました。

しかし、石油開発問題で政府が衝突し、1983年にまたも、内戦がおこりました。

1983年に第二次スーダン内戦が始まり、2005年までの22年間続きました。死者数は250万人になります。

停戦から6年が経過し、2011年に南スーダン共和国が誕生しました。

しかし、独立してすぐに、首都のジュバで内部分裂が深刻になり、内戦が開始。

大統領を率いる政府軍と副大統領の反対府勢力との政府軍同士の銃激戦が起こりました。

この戦闘の激化により、2年後の2013年12月、南スーダン共和国はアフリカ最大の難民発生国になりました。

避難民の約70%が子供たちで、兵士として狩りだされる子供兵が多くいました。

食糧危機

南スーダン共和国では、毎年食糧危機が起きています。雨季と乾季の時期があり、4月の雨季はかなりの雨により、舗装されていない道が泥水で埋まり、食糧の輸送が困難となります。

また、多くの村が孤立するため、栄養不良になる人が増えます。乾季は食物が育たなくなり、収穫ができず

食糧不足になります。天候の問題に加えて、内戦で農業、インフラ(水、電気、ガス)は崩壊しています。

毎年、数百万人が深刻な食糧不足に陥る可能性があり、大規模な人道支援により、最悪の事態をかろうじて回避している状態です。

2020年のデータでは、550万人が日々の食糧を確保することが艱難であり、危機レベル5段階のうち、緊急事態フェーズ4、危機フェーズ3に達しています。

南スーダンの人は食糧は空から降ってくるものと認識しています。

どういうこと? 

住民は海外の輸送機から援助物資が投下されるのを待っています。

飛行機が飛んでくると、空を見上げて、食べ物や医療物資が落下されるのを受け取ります。

コンクリートの滑走路はなく、土の滑走路しかないとのことです。

国際救援活動

2021年国外に逃げた難民は227万人、国内は160万人になります。

ウガンダ40%、スーダン35%、エチオピア16%、ケニア5%です。2020年データ。

国連、国際赤十字、国際NGOが、大規模な人道支援を続けています。

少し紹介します。

国境なき医師団や赤十字国際委員会は医療の支援を行い、負傷者の治療をしています。

陸上での移動は危険なため、航空機により外科チームを国内各地の医療拠点に展開し、医療の提供を行っています。支援する側も命がけであり、戦線の移動によっては、各医療拠点からの撤廃を余儀なくされることがあります。

2016年には首都のジュバで銃撃戦がおこり、無警戒の国連部隊や国際NGOが内戦に巻き込まれ、脱出できない事態となりました。被弾から逃れ、敷地内の部屋で何日も事態が終息するのを待ち続けたと言います。

人を救いにいくことが使命でありますが、自分たちも命がけであり、

過酷な状況下で、医療者として葛藤しながら生活していることが想像できます。

このような悲惨な紛争地帯が世界の今現在、起きていること、そして人道支援の厳しさも感じます。

私たちはこのような状況を知ることをきっかけに、自分の生活を改めて考えること感謝することができます。

そこから、何か自分たちにできることが見つかるのではないでしょうか。

今日も最後まで読んで下さりありがとうございます。

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